<エッセイ>いま空想していること。ー全ての人に「居場所」を①ー

広報さんとのランチミーティングのお話(後編)です。

私が今やってみたいと思っていることについて。(いつも、アイデアを思いつくと、チューリップのお仕事を手伝ってくれるまわりの人たちに熱く語っているのです。)

高齢の方や障害の方も、主婦の方も誰でもぶらっと立ち寄って、手仕事をしたりおしゃべりをしたりできるような「地域のなかの居場所」をつくれないか。

いわゆる作業所のようなフォーマルな感じではなく、あくまで、個人サロンのような…

日中、ひとりでぽつんと広い家で過ごしている高齢のお客様に接すると、「この人にも近所にどこか居場所があって、仲間とお話ししたり、手を動かしたりすれば、もっと生き生きできるのでは…」と思うことがよくあります。

ファストフード店や喫茶店で長い時間座り込んで、目の前をぼんやり眺めている高齢者の方を見かけることもありますが、そんな時も同じことを思います。

この人たちにも、若く美しく、生き生きしていた時代があっただろうに。今はその存在を忘れ去られたように、社会の片隅でぽつんとしている。そうしてそのままある日、この世界からいなくなってしまう…

現代日本における老年期というのはそういうものなのかもしれません。でも、それではなんだか寂しいな、と思うのです。

アフリカや東南アジアの国々のドキュメンタリー番組を見たことがあります。そこに映し出されていた老人たちは、知恵や経験の豊かな人として、村の人たちから尊敬され、堂々とした威厳がありました。

日本のような世代間の分断や、ある世代はもてはやされ、一方の世代はなおざりにされる、というような格差がなく、人生のステージそれぞれに「役目」や「居場所」があり、それらがゆるやかに連続している、という印象を持ちました。

そしてそれは、高度経済成長を駆け上がる中で、日本が置き忘れてきてしまった大事なものであるように思います。

「何かやることがある」ということ、「自分がやったことで喜んでくれる誰かがいる」ということ。これは高齢者に限らず、どんな人にとっても、その人の生きるための力となるのだと思います。

その力を取り戻せるような場所を、私にできる範囲でやれないか。

そんなことを最近つらつらと空想しています。(続く)

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