松本清張

本名「きよはる」 亡くなってはや30年41才の文壇デビュー(おそまきながら)。82才で亡くなるまで、ミステリー、純文学、近現代史、伝記まで、約千扁。戦中戦後の昭和の歴史そのままを生きてきた様子を知ることができる。

両親が出生届けを出さなかったため、広島で生まれたが、届けを出された九州小倉生まれ、1909年12月21日として知られる。親の仕事がうまくいかないため、小学校卒業と同時に電気会社(今のパナソニックの源流)に給仕として就職。父が幼い頃から本を読み聞かせていたので、文学に夢を託すようになる。出張所が閉鎖(1927年)され、新聞記者をめざす。小学校卒では雇えないと言われ、父親の飲食店を手伝うが、経営が悪化、手に職をつける仕事として、石版印刷の見習い工となる。版下の描き方、広告図案を学んだ。

父の店は相変わらずうまくいかない。1937年、朝日新聞西部支社が小倉に移転し、自営の版下職人として下請けとなった。この頃は北九州の遺跡をめぐって、実力を評価されない職場の休日を過ごしたという。1944年6月臨時招集され、朝鮮に渡り、衛生兵となったが1945年10月に、家族が疎開した佐賀県に帰り、朝日新聞に復職した。

しかし戦後、新聞の紙面は1枚だけで、事実上仕事はなく、わらぼうきの仲買いのアルバイトをしていた。やがて近所の荒物屋におろしていたのを、広島まで足をのばし、京都や奈良等関西方面に足をはこんで寺社を見学した。

1950年代に賞金目当てに書いた「西郷札」が「週刊朝日の百万人の小説」に三等入選し、1952年「或る『小倉日記』伝」が芥川賞受賞となって、1953年、朝日新聞東京本社勤務。上京する。以後、退職して、1956年作家活動に専念する。

森鴎外のような文豪になることも可能だったが、清張は汗まみれで働く者の生理や心理を知りすぎていた。その体験ゆえにどんな境遇の者にも読める平明な文章を書くことを自分の文学に課した。日本の多くの推理小説家に影響を与えた。

「点と線」は私の好きな作品の1つ。

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