京都ミステリー伝説

百鬼夜行といって、いろいろな姿の鬼どもが夜中に行列で歩くこと。京の都の夜に鬼が歩いている様子をあらわしています。

堀川の一条通り橋が、平安京のいちばん北、そこから北西は「蓮台野」というお墓だったそうです。平安京時代には雨が降ると堀川が反乱し、治水もあまり良くなくて、不衛生で感染病が流行した。それで災いとして目に見えない病(やまい)を鬼と位置付け、様々な鬼伝説になっていったのでしょう。

堀川一条戻り橋付近に「此付近慶長天主堂跡」の立札がありました。

慶長九年(1604年)頃に復興されたヤソ会の天主堂教会があり、京都でのキリスト教布教は織田信長の保護のもとに本格化したが、豊臣秀吉が(1587年)宣教師追放令をしき、弾圧されました。秀吉の死後、再建に努力したが、徳川家康が政権をとると、布教が自由とされ、南蛮寺が新しくされるが、慶長17年(1612年)にキリシタンの大弾圧が開始され、天主堂もわずか10年で焼き払われたという。

今もコロナで見えないウィルスと戦っています。現代では鬼がいるとかといって恐れを子供に植えつけたりしませんが、古い時代は、暗闇で何がおこるかわからないので、災いに合わない事を、神仏に祈って平安を得られるように願いました。当時の権力者によっては自由行動できませんでした。今の日本では個人の自由が認められているのは、外国の出来事を見るとほんとうに貴重なことだと思います。

陰陽師の晴明神社

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