
先日読んだ新聞記事より。
コロナでデイサービス等の施設や喫茶店等が休業になったことから、行き場所や生きがいを失った高齢者たちの脳機能および身体機能が急激に衰えている、という話。
私たち現役世代だって、仕事をなくして家にばかりいるようになれば、筋力も脳機能も低下してしまうものですが、高齢者ならなおさらでしょう。
チューリップのお客様でも、同じようなケースがありました。
その方の入所されている施設は、コロナ自粛期間中は面会も外出も禁止で、家族に会うことも、外へ散歩に出ることもできない状態が続いていました。
緊急事態宣言が解除されて、先日久しぶりにその施設へ伺うと、その方に以前は見られなかった記憶の混濁や幻覚が現れるようになっている様子。
外からの刺激が極端に少なくなると、認知症が進むと言われていますが、まさにその典型例です。
「コロナの余波がこんなところにも…」となんだか悲しくなりました。
こうしたケースを見ると、改めて、人間は老いも若きも、人々に囲まれて、人とコミュニケーションをし、社会の中で生きる生き物なのだな、ということを痛感します。
社会的な死は生物的な死ともつながっているのです。
チューリップでは、家事代行のほか、こうした、施設に入所されているお客様の身の回りのサポートも多く担当させていただいています。
お客様のところに伺って、世間話やたわいない話をしていると、認知症と診断されている80代、90代のお客様が嬉しそうに昔のことを話され、笑いが生まれることもしばしば。
そうした姿を見ていると、私たちはただ家事代行をしているだけじゃないんだな、人の心のサポートもしているんだな、と思えてきます。
ようやく街にも少しずつ活気が戻ってきましたが、コロナが社会や経済、そして人々の心に与えた影響は甚大です。
この状況の中で、私たち、京都の街の小さな家事代行屋ができることは何かなと常に考えます。
人混みに行くのが億劫という人のための買い物代行、幼稚園や保育園の休園にともなう、お子様のベビーシッターなど、お役に立てることならなんでもやりたいと思っています。
ともかくも、日本・世界が、早くこの困難から脱出できるように祈ります。