昔から直接的な意味ではなく、仲間内や業界用語のような言葉あそび?が流行っていたようです。ご存知でしょうか?
「夏のはまぐり」→実は腐っているが外見は腐っていない
(見るだけで買わない大阪センバの商人用語)
「たらいでなく」→「足らないでない」→ない
(つまり資金不足)
京都では有名な「京のぶぶづけ」があります。
京都の本音を言わない、京都人の言う言葉を本気にしてしまうと、あとで何を言われるか分からない象徴のような言葉です。
お友達から聞いた話で、北海道から引越して来られた方が、「お茶どうですか?」と言われたので、お菓子を買って遊びに行ったら、「ほんとうに来はったん!」と言われ、「まあ、どうぞ」と。子供が遊んでいるので、帰ろうかと迷っていると、「ぶふづけどうどす?」2回言われ、「そうですか」と思ったとたん、京都では「もう帰ってと言うことや」と言われ、お茶と言われても3回ぐらい断るもんやと話されて、びっくりしたそうです。それから半年もしないでまた引越して行かれました。
もう一つに、離婚されたお母さんの実家のある京都に東京から来られたお嬢さんが、東京弁の受け答えで、編入した中学校のお友達から、意味の通じない「お井戸さん」「えっ」「よろしおすなぁ」「?」いいと言っているのか、いやと言っているのか分からないととまどい、言い方の違いでいちいち笑われる。いじめにあったと感じるなど、とうとう不登校になって、もう大変でしたね。
国際都市、世界の京都ですから、そろそろ相手の身になって変化する必要があるかもしれません。
幸い外国人にははっきり言わないと理解していただけないのか、親切で優しい京都の方ははんなりしていて好評らしいです。
